「ディスカバー・ジャパン?」
コロナの影響で
当面、妻が好きな海外旅行に
行けなくなりました。
海外もいいですが
日本には良い所がたくさんあるので
私は国内旅行が好きです。
そこで、私は自宅で
1970年代に国鉄(現JR)が展開した
「ディスカバー・ジャパン」 キャンペーンを張っています。
調べてみると
「国鉄は1970年10月に万博終了後の旅客確保対策として
個人旅行拡大キャンペーン『ディスカバー・ジャパン』を開始した。
ディスカバー・ジャパンは『日本を発見し、自分自身を再発見する』
をコンセプトに、全国的に進められた。」
という事です。
そして、私が学生時代は
下記のように 「周遊券」 が全盛時代でした。
国鉄時代、多くの鉄道ファンに愛された「ワイド周遊券」
「夏休みまっただ中。
この夏も、JRグループからは全国の普通列車に乗り放題となる
「青春18きっぷ」が発売され、鉄道ファンが“激安旅行”を楽しんでいます。」
あこがれの北海道までの「周遊券」を買って
普通列車を乗り継ぎ
九州から札幌まで
丸2日かかりました。
まだ、「青函連絡船」時代 で
青森から函館まで
4時間かかっていました。
同じ列車で同席になった人と意気投合して
数日、一緒に旅をしたり
その人の友人宅に泊めていただいたりと
人との出会いが旅の醍醐味でした。
「旅とは人との出会いである」
と考えています。
そして、北海道を3年がかりで旅行し
鉄道旅の素晴らしさを満喫しました。
当時の「周遊券」は3~4万円ぐらいだったかな?
寝袋と民宿の旅でも
15万円ぐらいかかりましたかね。
旅費を稼ぐために
3週間~1か月ぐらい
土方や引越しのアルバイトで稼ぎました。
真夏に水も飲まず
汗を流して
1日2軒の引っ越しで
日給4000~5000円でした。
エレベーターの無い
4Fのアパートに上げる
冷蔵後の重さを忘れません。
これも今思えば
貴重な経験でした。
優しくも厳しい
肉体労働のオジサンたちと
毎日仕事をして
時には一緒に出張して
泊まる事もありました。
毎日、叱られながらも
「この仕事を何十年も続けて
家族を支えているのは立派だな。」
と思いました。
就職で挫折しても
もし自分の体が動けば
「最後はこのような仕事をする覚悟を持とう」
と考えました。
それも含めて
「ディスカバー・ジャパン」 です。
「毎日少しずつ
それがなかなか
できねんだなあ」 みつを
合掌。