「どうしたら尾畠さんになれるのか?」
昨日から
ずっとこの問題が
頭を離れません。
「自分と尾畠さんとは
全く別人なので
尾畠さんになれるわけがない」
というように
割り切ってしまうのは
簡単かもしれませんが
「本当にそれで済ませていいのか?
そんな考え方で
人間的な成長はあるのか?」
と考えますと
「そんな安易にやり過ごしてはいけない。
もっと、自分の事として考えないと。」
という気持ちにもなります。
「尾畠さんはボランティアマニアで
普通の人は違うよ」
本当にそうなのでしょうか?
例えば、尾畠さんの過去には
・深い悲しみ
・貧困
・生き残るための必死の努力
・助けてくれた人への感謝・感動
・生かされている自覚・感謝
・足るを知る
・自分が何か恩返しできないか?
というような
私には想像もできませんが
何らかそのような
過酷なご経験や
恩人との素晴らしい出逢いなど
様々な事がたくさんあったのではないか?
そのように思います。
いつも 「相田みつを」 さんの詩を
引用していますが
今日は、相田さんの先輩格とも言え
相田さんとも会った事があるという故人
「坂村真民(さかむら・しんみん)」 さんの詩を
引用させていただきます。
生きるのだ
「いのちいっぱい
生きるのだ
念じて念じて
生きるのだ
一度しかない人生を
何か世のため人のため
自分にできることをして
この身を捧げ
生きるのだ」
悲
「長く生きていることは
無駄ではなかったと
しみじみ思う年になった
見えなかったものや
聞こえなかったものが
見えだし聞こえだしたのも
ありがたい喜びの一つだが
一番の大きな喜びは
色々の悲しみを知ったことだった」 坂村 真民
合掌。