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社長ブログ 人材コンサルタント25年史

「人間力が試される時とは?」

「人間力が試される時とは?」

「人間力」 という言葉は

あまり好きではありませんが

意味としては

「人格」 とでも言うのでしょうか?

それでは 「人格とは?」 と検索しますと

「道徳的にすぐれている人を〈人格者〉というように

日本の慣用法においては人格という語は

カント以後のドイツ哲学思想の影響のもとに

理性的存在者として自律的に行為する主体を意味し

その尊厳性を強調する道徳的意味あいを含む語として用いられてきている」

との事です。

「カント」 と聞くと、なつかしいのですが

高校時代に尊敬していた前川先生が

「カント」 に関するエピソードを話してくださった事を

今でも鮮明に覚えています。

・「『カント先生が散歩をしているから、今は午後3時だね』

 と、周囲の住民は言っていた。それぐらい規則正しい人だった。」

・「カントは、死ぬ直前においても

 見舞いに来てくれた人に対して

 必死に起き上がって

 『本日は、お見舞いいただき、ありがとうございます』 

 とお礼をしたような人だった。」

というようなエピソードです。

当時の私は、不遜にも

「カントのような人を目指そう!!」

と思ったのですが

実際の私は真逆で

恥ずかしながら

ドロドロとした煩悩に満ちた人生を過ごして来ました。

前置きが長くなりましたが

「人間力」 とは

「自分の調子が悪い時でも

 どれだけ利他(思いやり)の心を持って

 人や環境と接する事ができるか?」

という事ではないかと

自分なりに解釈いたします。

逆に

「調子が良い時」 は

私でも誰でも余裕があって

人にも周囲の環境にも

優しく柔らかく接する事ができます。

当り前ですが

「調子が良い時」 にだけ

人に優しいというような私は

「人格者」 ではありませんし

「人間力」 も乏しいです。

従って、繰り返しますが

「人間力が試される時とは?」 とは

「自分の調子が悪い時でも

 利他(思いやり)の心を持って

 人や環境と接する事ができるかどうか?」

という事です。

非常に厳しいですよね。

自分が辛い時に

「自分より他人を優先する」 とか

「自分と同等に接する」 とか

できますか?

「カント」 の話が本当であれば

死に直面して苦しんでいる時に

お見舞いに来てくれた人に礼を尽くして

起き上がって

「本日は、お見舞いいただき、ありがとうございます。」

とか、言えますかね?

本当に、そうであったのか? なかったのか?

そんな事は、どうでもいいんです。

私には、できません。

ただ、 「調子が良い・悪い」 というような事に

できるだけ影響されず

今、目の前のお客様に対して

全力で臨もうと思います。

「日々、そのように過ごすしかない」

というのが

「普通の人間の努力」 ではないでしょうか?

「わたしは

今日の一日を

大事に

生きたろうか」                                       みつを

合掌。

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プロフィール


武谷 広人
人材ビジネス経験の蓄積と、自らのトップマネジメント経験を強みとする。経営幹部から専門職まで約500件の案件を成功に導く。

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