「人間にできて人工知能にはできない事は?」
昨年だったと思いますが
「天使か悪魔か 羽生善治 人工知能を探る」
というテレビ番組が放送されました。
ご存じ将棋界のスーパースターで
私もファンの一人である羽生善治さんが
人工知能開発の最前線を取材する番組でした。
現在、その取材・番組に基づいて
「人工知能の核心」 という本が出版されています。
人工知能やビッグデータと言えば
我々、人材紹介コンサルタントにとっても
大変関心の高いものです。
近い将来、人材コンサルタントの仕事が
人工知能に取って代わられる日は来るのでしょうか?
この本の内容を要約しますと
1 人工知能開発の現状
2 人間にできて人工知能にはできない事
3 人間はどのように人工知能と付き合っていくべきか?
という三点に関して書かれています。
特に、上記2に関しては
多くの方々が関心を持つ部分ではないでしょうか?
プロ棋士の羽生善治さんが
将棋を通じて人工知能を考察している部分は
大変興味深い事が書かれています。
「人間にできて人工知能にはできない事」 の代表例としては
「直観的に余計なものを省く」=「要らないと判断して捨てるマイナスの思考」
があるそうです。
「この局面では直感的にそんな手を指してはまずいので候補手からはずそう」
というように、プロ棋士であれば直感的に一目でわかるのです。
それに対して、人工知能は圧倒的な計算力を武器に思考しますので
「プラスの思考」 です。
将棋で言えば
「何十手先・何百手先と手を読む事」=「膨大な計算の積み重ね」
に関しては、人間は人工知能に敵いません。
しかし、計算ができるから100%勝てるわけでもないのです。
人間は無限に手を読む事はできませんから
プロ棋士の過去の経験から
「無意識に要らないものを除去する能力」
を直感的に持っているわけです。
この 「無意識に要らないものを除去する能力」 に関しては
私たちの仕事はもちろん日々の生活においても
また、人生のあらゆる場面においても
「なるほど」 と考えさせられる能力ではないでしょうか?
・そんな事に関わっても仕方ない。
・そんな情報は必要ない。
・そんな人と付き合っても仕方ない。
・そんな事に執着しても仕方ない。
更に 「人間にあって人工知能にないもの」 として
「恐怖心と美意識」 というものも挙げられています。
将棋においても
その他のあらゆる行動においても
人間には 「恐怖心」 があります。
これは、生命の自己防衛本能から来ているのではないか?
と羽生さんは指摘しています。
もちろん、コンピューターには 「恐怖心」 はありませんので
それによって指し手が狂う事はありません。
コンピューターを相手に将棋を指していると
人を相手にしている時とは違う
違和感を感じる事があり
それは勝ち負けとは関係のない
「美意識」 が関係しているのではないか?
とも、おしゃっています。
人間のプロ棋士ならば、一目で 「筋の悪い手」 や 「カタチの悪い手」
と認識されている手は指しません。
ただ、コンピューターの場合は
「筋が悪い」 とか 「カタチが悪い」 といった 「美意識」 はありません。
従って、プロ棋士が 「筋が悪い」 とか 「カタチが悪い」 と感じる手も
その手を指せば有利になると考えれば
躊躇なく指して来ます。
これは、人間の盲点です。
プロ棋士の常識にはない盲点になっている手を
人間的な 「美意識」 など関係なく指してくるわけです。
羽生さんの関心は
「人工知能は将棋で人間に勝てるのか?」 ではなく
「人工知能が人間に近い将棋を指せるようになる日は来るのか?」
であると書かれていたのが印象に残りました。
一言で申し上げるのは難しいのですが
人工知能が能力として人間を超える事はあっても
「人間と将棋を指すより、コンピューターと指す方が楽しい」
と思われるようになるのは大変難しい。
そこに人間と人工知能との大きな違いがあり
今後、人間が人工知能とどのように付き合っていくべきなのか?
というヒントがあると感じました。
従って、人工知能を必要以上に恐れたり拒絶したりするのではなく
人間はそれをどう活用していくのかという
建設的な視点が重要なのだと思います。
それによって、人間という生命の素晴らしさを
あらためて認識する事もできるでしょう。
皆さんも、ご自身の仕事や日常生活に当てはめて
考えてみてはいかがでしょうか?
「にんげんだもの」 みつを
合掌。