「本日で第11期が終了しました:感謝と歩み」
本日、2016年9月30日
弊社(株)プロフェッショナル・サーチの第11期が終了しました。
これまでご支援・ご指導いただいたクライアント企業様と
弊社にご相談いただいたキャンディデートの皆様に
心から感謝致します。
誠にありがとうございます。
2005年10月3日(当時44歳)に会社を設立したものの
26歳から44歳までの18年間のほとんどは
組織マネジメントを担当していたために
「クライアントもキャンディデートもゼロ」
という無謀なスタートでした。
とりあえず、先輩・友人・知人を訪ねて、ご挨拶回りをしました。
既に独立して会社経営をされていた方々が多く
立ち上げの苦労話を中心に伺いました。
そうしていると帰り際に
「武谷 (たけや)さん、うちにも求人ありますよ。
探してもらえませんか?」
と、温かい声をかけていただきました。
それが全ての始まりでした。
1件、2件、3件と決まりだして
2年間の決定先企業を見てみたら
その大半が人材紹介会社だったわけです。
考えてみれば、私はリクルート、JAC、マンパワーと
人材会社ばかりに在籍してきたわけですし
そんな会社の先輩・友人・知人となりますと
大半が人材会社の経営者になっていたわけです。
従って、決定先企業の大半が、人材紹介会社になるのは当然ですね。
そんな折、リクルートの大先輩(元リクルートスタッフィング取締役)の
故:東田さんと知り合いになりました。
東田さんは、リクルートスタッフィングの取締役を退任後
「人材ビジネスフォーラム」 と言う
人材派遣業界に特化した人材紹介会社を立ち上げていました。
大柄で酒豪で頭の良い東田さんと飲んでいた時
「武谷 (たけや)、ほとんどの成約が人材紹介会社なんだったら
早くそれだけに特化した方がいいんじゃないか?
そうしろよ。」
と言われて、踏ん切りがつきました。
時期的にも丁度ラッキーだったのです。
2006年、2007年は、まさに人材紹介業界の伸び盛りでした。
また、顕在的転職市場における人材紹介経験者は少なく
ほとんど採用できなかった時代です。
そこで、多くの人材紹介会社は
「営業経験のある未経験者を積極採用し人材紹介コンサルタントに育てる」
という採用方針だったのです。
また、転職市場においても、今とは比べられないほど
人材紹介業や人材紹介コンサルタントと言うものが認知されていませんでした。
従って、最初は転職ポータルサイトを活用し
「人材紹介コンサルタントは、こんなにやりがいのある仕事ですよ」
と、スカウトメールを送ると、返信率が50~60%もありました。
毎日、3~4人の方と面談しました。
まずは、「人材紹介とは?」 という事から話す必要がありますので
面談時間も短くて2時間、長いと5時間もかかりました。
その時、異業界でご活躍されていた方々を数多くご紹介させていただき
たくさんご採用いただきました。
その方々も、今や10年選手のベテランコンサルタントや
トップコンサルタントになられています。
ただ、良い事は長くは続かず
2008年にリーマンショックが起こり
2009年は大リストラの年になりました。
求人は1件も無くなり
リストラされた人材コンサルタントの方々の愚痴を聞く毎日が続きました。
これによって、「人材紹介業界=成長産業」 というイメージが一変し
「就職・転職してはいけないブラック業界」 というような雰囲気になりました。
その結果、スカウトメールを送っても、返信が無くなりました。
「それならよし、今こそ新規求人開拓だ!!」
と思い、飛び込みの求人開拓を始めました。
「社長と会わないと話にならん。
全て社長宛に飛び込もう!!」
という方針を決めました。
そして、当時の不景気に一番値段の高かった
「エン転職コンサルタント」 を使っている
紹介会社は資金的余力があるに違いないと思ってリストアップし
そんな会社が集まっていた麹町・半蔵門・赤坂あたりの会社に
集中的に飛び込み訪問しました。
結果としては、1日で3~4人の社長に会えました。
そこで、社長にお話を伺うと
「こんな不景気だからこそ、売れる人材コンサルタントであれば欲しい」
という事でした。
人材紹介業に関わらず
不景気というものは、悪い事ばかりではありません。
そんな時こそ、人間の底力とか本性がわかるものですね。
まさに、苦境にあってこそ
「天の時 地の利 人の和」 ですね。
ありがとうございます。
おかげさん。
「一とは原点
一とはじぶん」 みつを
合掌。