「起きた事には全て意味がある」
毎日、色々な事が起きます。
色々なクライアントの社長さんや、色々なキャンディデートに会って、
色々な事を感じます。
当り前ですが、
「人はみんな同じように、ありたい自分を探してる」
ということです。
自分の居心地がいい場所を探しています。
若い頃は、
「どこが本当に居心地がいいのか?」
わからないんですよね。
多くの人は遠回りをして、
50歳とか60歳になって、やっと自分の居場所を見つけます。
そう言うと、毎日なんとなく生きてるように思えますが、
交差点を右に曲がるか、左に曲がるか、
今日はどこの店で買い物をするか、
全部自分が決めているんですよね。
この 「決める」 という軸が大切なんですね。
「何を軸に決めるか?」 なんですね。
これを間違わない人、自分の軸で決める人は、きっと幸せな人生を送るでしょう。
でも、「間違い」 とか 「正解」 とかは無いんですよね。
その人らしい決断をすれば、
他人がどう思っても、ご本人はきっと幸せなんですよね。
そんな事を考えていると、
日々自分に起こっている事や、
日々お会いしている方々は、
偶然に起こったり、会ったりしているわけじゃないと思うのです。
全てが偶然であり、しかし全てが必然だと思います。
そう思うと、
今日起こった事、
今日会った人、
必ず何か意味があると思います。
栢野さんのサイトにも書いてあります。
「人は誰でも天から一通の手紙を受け取っている。そこには天職、使命が書いてある」
うん、無意味な事は何もない。
全てが必然、全て自分が出会うべくして体験している事ですね。
人生には正解も不正解もない。
ただ、その人の人生があるだけ。
その人の居場所で、その人の使命を全うするだけです。
生きているけど、生かされている。
「生きていてよかった
生かされてきてよかった
あなたにめぐり逢えたから」 みつを
合掌。