「登録者から5年後に届いた手紙」
1992年ぐらいに新橋本社のキャリアアドバイザーをやっていた頃の話です。
私もまだ、30歳か31歳ぐらいでした。
ある日、四国在住の転職希望の方から問い合わせ電話がかかってきたのです。
当時は頻繁に転職希望の方からの問い合わせ電話がかかってきました。
まずは、受付さんが対応してくれるのですが、彼女たちが対応できないような、
難しい質問をされる方に関しては、我々キャリアアドバイザーが対応していました。
仮に、この方をAさんとしましょう。
私:「お電話換わりました。キャリアアドバイザーの武谷(たけや)と申します。」
Aさん:「私は現在四国に住んでおりますAと申します。
今はN証券の支店で営業をやっているのですが、最近転職を考えるようになりまして。」
私:「そうですか? N証券さんの営業は大変でしょう?」
Aさん:「いや、仕事が大変なのはいいのですが、別にやりたい事があるんです。
その可能性について伺いたいと思いまして。」
私:「どんな事をされたいのですか?」
Aさん:「ベンチャー企業に転職したいと考えております!!」
私:「ほー、天下のN証券さんを辞めてベンチャー企業ですか??」
Aさん:「はい!! 私は現在26歳ですが可能性はありますか?」
私:「可能性は十分にありますよ。」
Aさん:「そうですか!!
それでは、土曜日か日曜日にそちらに相談に伺ってもよろしいですか?」
私:「わざわざ四国からですか?
うちは大阪にも兄弟会社の関西リクルート人材センターがありますから、
そちらの方が近いですよ。」
Aさん:「いや、どうせ転職するなら大きな市場がある東京で働きたいんです。
大学も早稲田でしたし。」
私:「わかりました。
今度の土曜日は私も出勤しますが、ご都合はいかがですか?」
Aさん:「はい、大丈夫です。伺います!!」
こんな感じで、わざわざ四国から飛行機で東京に相談に来られたんです。
約束通り、土曜日の午後にお越しになったAさんは、さすがN証券さんの営業マンだけあり
ビシッとスーツが決まり背筋が伸びた礼儀正しい好青年でした。
会った瞬間に、
私:「この人はどこにでも転職できそうだな。」
と思いました。
私:「わざわざ四国からお越しいただき、ありがとうございます。」
Aさん:「いえ、こちらこそ貴重なお時間を頂戴して、ありがとうございます。」
私:「早速、先日の電話の続きですが、なぜベンチャー企業を志望されるんですか?」
Aさん:「はい。現在、N証券の営業で中小企業回りをしております。
その中で、多くの経営者の方々とお目にかかる機会があります。
経営者の方からいろいろなお話を伺うと、皆さん本当にご苦労されていらっしゃるし
魅力的な方が多く勉強になります。
そんな毎日を過ごしている内に、私自身が何とかベンチャー企業経営のお手伝いが
できないものか?と考え始めたんです。」
私:「N証券さんの営業マンとしてではなく、実際にベンチャー企業に入社されて、
経営者の方の手助けがしたいと思うようになったんですね?」
Aさん:「そうんなんです!!
例えば今週のビーイングにもこんなベンチャー企業の社長さんが登場してますよね?」
私:「あー、ちょっと見せてください。
これはビーイング関東版ですね?
どうやって手に入れたんですか?」
Aさん:「定期購読しています。」
私:「確かに社長インタビュー形式のインパクトある求人広告ですね。」
Aさん:「早速、この社長さんにも直接お電話して、実は今日の夕方、お目にかかることに
なっています!!」
私:「そうですか!! さすが、行動力がありますね。」
Aさん:「今日参りましたのは、私のベンチャー企業への転職の可能性と
入社後の諸条件、考えられるリスクなどに関して、ご意見を伺いたかったのです。
また、実際に具体的な良い求人があれば、是非チャレンジしてみたいと思っています。」
私:「それでは、失礼ですがご家族構成は?」
Aさん:「家内と1歳の子供がおります。」
私:「現在のご年収は?」
Aさん:「600万円と住宅補助が月8万円ほどです。」
私:「それでは実質年収は26歳で700万円以上ありますね。
ご自宅の広さは?」
Aさん:「3LDKで80平米ぐらいです。」
私:「なるほど。26歳、四国で実質年収700万円。3LDKにお住まい。
今後のご希望条件は、どのようにお考えですか?」
Aさん:「現状と同等レベルあればと思っています。」
私:「ベンチャー企業でN証券さんと同等レベルの条件ですか?」
Aさん:「はい、難しいでしょうか?」
私:「はい、まず無理ですね。
貴方の今回の転職の最大の目的・理由は何ですか?」
Aさん:「ベンチャー企業の経営に携わる事です!!」
私:「それなら他の条件の優先順位を下げないと、あれもこれもでは該当求人が無くなりなすよ。」
Aさん:「そうですかー。
でも実際の生活を考えると、家内や子供に不自由させたくないです。
ベンチャー企業に転職したら、年収はどれぐらいになりそうですか?」
私:「どんなポジションで入社されるかによりますが、26歳という年齢を考えると
良くて500万円ですね。
もちろん住宅補助などはありません。」
Aさん:「社長の右腕として入社しても、その程度の年収ですか?」
私:「あくまで一般論です。例外も無いとは限りません。
実際、当社に寄せられる求人の中にも、時々大変高い年収を出される企業もあります。
ただ、その分大変なハードワークになります。」
Aさん:「ハードワークは望むところです!!
是非そのような求人を紹介してください!!」
私:「わかりました。
ここに、ある企業の求人票をお持ちしました。
ホテルやオフィスビルなど建築物の外壁などに使われる高級建築資材の商社です。
設立5年のベンチャー企業ですが、管理部長に日本興業銀行出身の切れ者を迎えるなど
社長も魅力的な人で今後が楽しみな会社です。
更に、わずか30人の会社ですが、利益率が高いため年収も大変高くなっています。
30歳年収例800万円と書いてありますね。
現在の求人の中では、この条件は破格です。」
Aさん:「大変魅力的な会社ですね。
是非チャレンジさせていただけませんか?」
私:「それは構いませんが、事業内容や社長の考え方など事前に十分ご検討されないと
ただ条件が良いだけで応募されても合格できません。
今日は会社案内や他の求人資料をお渡ししますので、じっくりご検討された上で
お電話ください。」
Aさん:「わかりました。検討させていただき、必ず来週中にお電話します!!」
こんな感じで1回目の面談は終了しました。
そして翌週、Aさんからお電話をいただきました。
Aさん:「お世話になっております。
武谷(たけや)さん、自分なりに業界の事を調べて検討させていただきました。
やはり、知れば知るほど魅力的な会社だと思いますので、是非紹介していただけませんか?」
私:「わかりました。
それでは、早速今日中にAさんを先方に推薦する手続を行います。」
Aさん:「ありがとうございます。
それから、先日ビーイングに掲載されていた会社にも行って来ました!!
とても素晴らしい社長さんでした!!
私の事も気に入っていただいたようです!!
今週の土曜日、再度訪問して条件提示を受ける予定です!!」
私:「それは良かったですね!!
ご希望に合う条件だといいですね。」
Aさん:「はい!!
それから今週の土曜日、条件提示を受けた後に、また御社に伺いたいと
思うのですが、ご都合はいかがでしょうか?」
私:「わかりました。何時ごろですか?」
Aさん:「16時ではいかがでしょうか?」
私:「わかりました。お待ちしております。」
そして、また土曜日が来ました。
Aさんは、2週連続で四国から上京されたのです。
Aさん:「いやー、ビーイングに掲載されていた会社に行って来ましたが、
条件を伺ってがっかりしました~。」
私:「どんな条件ですか?」
Aさん:「年収ベースで500万円がギリギリ精一杯らしいです~。」
私:「やっぱりそれぐらいですか?
でも26歳、異業界への転職で、あのベンチャー企業が500万円提示されたのは、
本当に精一杯でしょうし、世間相場から見れば相当高い給料ですよ。」
Aさん:「でも四国で実質700万円の生活が、東京で500万円ではとても家内には言えません。」
私:「ですからね、今回の転職の目的は何ですか?」
Aさん:「ベンチャー企業に転職し経営に携わる事です。
武谷(たけや)さん、わかっているんです。
ただ、現実問題として考えると、この条件では踏み切れません。」
私:「貴方が本当にわかっていらっしゃるのか?
正直疑問ですが、先日の建築資材商社から面接したいと連絡が来ましたので、
気合いを入れて臨んでください。」
Aさん:「ありがとうございます!!
あんな条件の良いベンチャー企業はなかなか無いとわかりました。
全力でチャレンジします!!」
こんな感じで、翌週ついに面接日が来ました。
さすがAさん、一次面接での評価も上々、最終面接で社長にも気に入っていただき、
内定の運びとなりました。
さて、問題の条件提示です。
年収650万円でした。 *20年前、26歳の人に対する条件です。凄くいいでしょう?
私:「Aさん、良い条件が出ましたよ!!
年収650万円です!!」
Aさん:「え!! 650万円?
800万円ではないんですね~?」
私:「800万円というのは、30歳の例です。
26歳で650万円というのは破格の条件ですよ!!」
Aさん:「住宅補助は付かないんですか?」
私:「設立5年のベンチャー企業ですよ!!
そんなもん、あるわけないでしょう!!
事前に説明したじゃないですか!!」
Aさん:「そうですか~。
やっぱり現状維持の生活は難しいですね。」
私:「Aさん、いい加減にしてくださいよ!!
貴方の今回の転職の目的は何ですか?
わかりました。
今回の内定は辞退してください!!
貴方は全くベンチャー企業向きではありません!!
仮にベンチャー企業に転職しても、
貴方の考え方では長続きしません。
貴方は、むしろ大企業向きだ!!
転職そのものを考え直した方がいいと思います。
それでは失礼します。」
この後、Aさんから1回か2回お電話をいただきましたが、話は折り合わず、
その後の関係はフェードアウトしました。
そして、5年の月日が流れ、私の手元に一通の手紙が届きました。
(Aさんの文面概略)
「武谷(たけや)さん、大変ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
5年前に転職のご相談でお世話になったAです。
あの時はお忙しい中、私のために多くのお時間を割いていただき、誠にありがとうございました。
最後に、 『君はベンチャーには向いていない。むしろ、大企業向きだ!!』
と言われた事、大変ショックでしたが、今でも鮮明に覚えております。
しかし、今は武谷(たけや)さんのご指摘は、その通りだったと痛感しております。
実はあれから数ヵ月後、私はN証券を退職しバイオ関係のベンチャー企業に転職しました。
実際に転職してみて、ベンチャー企業の実態を知りました。
それは私が想像していたものより、遥かに厳しいものでした。
何とか必死で3年間勤務しましたが、最後は精魂尽きて退職し、
現在は名古屋の一部上場企業に勤務しております。
今の職場に来て、やはり私は大企業向きだったと実感しております。
武谷(たけや)さんのご忠告に反して、このような回り道を致しましたが、
振り返って見れば、この5年間の経験は、私にとっては貴重な経験となりました。
また将来、仕事で悩んだ時は、御礼かたがたあらためて伺いますので
見捨てないでご相談させてください。
それでは、お元気でご活躍ください。
「いまから ここから」 みつを
合掌。