「ゴキブリ営業マン、NASDAQ上場企業の社長になる!!(その2)」
今日は昨日の続編です。
元「ゴキブリ営業マン」のE君、外資系ハイテク企業A社に転職して大活躍。
持ち前のフットワークで、NTT、NEC、富士通などの通信関連企業を次々に攻略し、
あっという間に日本法人の売上の50%以上を一人で売るトップセールスになりました。
ただ、ここで終わらないのが、向上心が人一倍強いE君です。
E君:「武谷(たけや)さん、最近、複数の会社からスカウトの話が来るんですよ。
この前も日本の大手企業N社から話がありました。」
私:「E君、そんな話に軽々しく乗らない方がいいよ。
いいように使われて捨てられるよ。
日本の大手企業は中途採用者に冷たいし、E君は三流大学中退でしょう?
日本の大手企業は、なんだかんだ言っても学歴社会だから、
中長期的に見たらいいことは無いよ。
E君が本当に転職を考えるなら、今のA社のような徹底した実力主義の会社がいいよ。
英語も上達してきたみたいだし、やっぱり外資系ハイテク企業がいいと思うな。」
E君:「そうですかー? うーん、いろいろ考えちゃうな。」
私:「S社長に対する義理もあるし、もう少し今の会社で頑張れよ。」
E君:「そうですね。焦らないで頑張ります!!」
その後もE君は努力して通信の知識も深くなり、英語も達者になりました。
度々、通信技術の講演を依頼されるようにもなり、通産省の依頼でタイの大学に行って、
英語で講義をするまでになったのです!!
三流大学中退、通信も英語もわからなかった人間が、凄いとしか言いようが無い!!
数年後、E君にはかなり高いポジションのスカウト話が来るようになりました。
特に外資系のB社からは、外人創業社長から直接誘われ一旦は断ったのですが、
再度ヘッドハンティング会社を通じてアプローチがありました。
E君もその社長の熱意と誠実さに心を動かされ、ついに転職を決意しました。
E君:「武谷(たけや)さん、僕しばらくアメリカのサンノゼに行ってきます。」
私:「え、どうしたの?」
E君:「1年間家族と一緒に行って、B社の米国本社でトレーニングしてきます。
それから、日本市場参入の戦略も練らないといけません。
経営計画も立てないといけないし、いろいろです。」
私:「凄いね!! そんな機会はそうそうないから行くしかないね。」
E君:「ハイリスクかもしれませんが、一発チャレンジしてみますよ!!」
私:「じゃあ、日本法人を設立したら、E君が社長になるんだね?」
E君:「その予定です。」
私:「是非頑張ってよ。E君は昔一緒に働いた仲間の誇りだよ。」
その後、E君は渡米し1年後に帰国しました。
そして、中野に日本法人のオフィスを構えて営業を開始しました。
その時、日本での採用第一号の技術部長は、私がお世話させていただきました。
しかし、立ち上げ時代は、さすがに苦労したようでした。
時々私を訪ねて来て、こんな事を言っていました。
E君:「武谷(たけや)さん、このビルに来ると、若い時みんなでめちゃくちゃ働いた時を
思い出すんです。
自分が折れそうになった時、ここに来るとまた勇気が湧いてくるんです。
あの時の厳しい営業を思えば何だってできると。
今日は突然来て済みません。
また時々寄らせていただくと思いますが、宜しくお願いします。」
それから数年が経ち、E君の会社を訪問しました。
E君:「武谷(たけや)さん、何とか格好がつきました。
日本の売上が米国やヨーロッパの売上を越えました。
これによって米国本社がNASDAQに上場しました!!」
私:「えー、日本の売上が世界一!! 凄いね、おめでとう!!」
E君:「いろいろあったけど、やっとここまで来ました。」
感動しました。
「やる気があれば何でもできる!!」 を証明した尊敬すべき人間が目の前にいる。
その後も彼の努力が絶えることはありませんでした。
E君は10年間、日本法人の社長 兼 米国本社の副社長を務めた後、
再度ご家族を連れてサンノゼに行きました。
E君:「武谷(たけや)さん、今度は米国本社のCEOのポストにチャレンジしてみます。
アメリカ人の強力なライバルもいるので駄目かもしれませんがやってみます。」
私:「えー、米国本社のCEOに? ネイティブとの勝負は大丈夫なの?」
E君:「日本を守るだけでは自分が成長しませんし、駄目でも死ぬわけじゃないし。」
私:「日本はどうするの?」
E君:「僕の後任を探します。優秀な人材がいたら是非紹介してください。」
この尽きる事なき向上心。行動力。決断力。
本当に素晴らしい人に出会えて感謝です。
「生きているうち はたらけるうち 日のくれぬうち」 みつを
合掌。