「年数より密度」
毎日、様々な人に出逢う。
それは、経営者だったり、転職を考えている人だったり、先輩やら後輩やらいろいろだ。
それぞれの人から多くの刺激や癒しをいただいている。
皆様、ありがとうございます。
そんな毎日を過ごしながら、最近特に感じる事がある。
「人は年齢や経験年数ではない。どれだけ密度濃く生きてきたか?その方が重要だ。」という事だ。
ボーッと10年過ごすのと、生きるか死ぬかの1年を過ごすのと、どちらが心の筋肉をつくるか?
言わずもがなだ。
密度濃く人生を生きている人の話や態度には、自然と魅力が溢れ出てくる。
ただ、それを他人に押し付ける人は好きではない。
押し付ける人は勝つ事だけを考えていて、負ける人をバカにしていると感じるからだ。
何度か挫折も経験しながら勝つ事も覚えた人の話には、さりげない優しさが漂っている。
負ける事も大切だとわかっている。
さりげなく自分の事を話せる人が本物だ。
逆に、ボーッと10年過ごしてきた人の話は、新鮮味がなく刺激を受けない。
本人はボーッと生きてきたつもりはないし、それなりの苦労もある。
ただ、相対的に言えばボーッとした感じになる。
昔、あんなに輝いていた人がどうしちゃったの? という事が時々あるが仕方ない。
しかし寂しい。
元来、私は時代の変化に無頓着で、良くも悪くも右往左往する方ではない。
時代と共に変わる事よりも、変わらない真理の方に重さがあると思っているからだ。
実際、人間は哲学者を輩出したギリシャ時代以降、全く進歩していないどころか、
精神的には後退したとさえ言われている。
私自身、酒を酌み交わしながら、旧き良き時代の話をしてノスタルジーに浸っている方が癒される。
それは刺激的な明日を過ごすための薬みたいな時間だ。
刺激的な話はおもしろいが、そればかりだと疲れるのだ。
お金は必要なのでビジネスの話は嫌いではないが、それだけの話には関心が無い。
お金の話にその人の哲学や歴史の話が混ざってくると、大変興味が湧いて来る。
そんな魅力ある人に出逢い感心しながら、毎日身の丈に合った生活をしたいと思っている。
「張りすぎてもだめ たるんでもだめ ちょうどいいあんばいが一番いい」 みつを
合掌。