「抜本改革プロジェクト」の概略と新たな若手CAの投入!!
一昨日書かせていただいた、1992年頃の「抜本改革プロジェクト」の概略に関してです。
主な内容は、下記のようなものだったと思います。
1 社内事情より顧客優先の考え方の浸透。
2 業界や職種セグメントによるサービス品質向上。
3 若いキャリアアドバイザーや女性キャリアアドバイザーを投入し、
様々な世代や性別の登録者に対応できる体制づくり。
「マーケティング」という事が、初めて社内で議論された場であったと思います。
「従来のように組織をエリア別に分けて、全ての業界の求人企業を開拓し、全ての職種の登録者に
対応するという原始的なやり方では限界だ。属性の異なる様々な顧客をカテゴライズして、カテゴリー
ごとの営業・サービス体制をつくる必要がある。」
このような方向で概ね異論は無かったと思いますが、
「じゃあどっから手をつけるの? 現在の体制から考えると、あまりにゴールが遠いいね。」
という難問がありました。
・営業部隊の体制を組み直すにも、まずは、現在の首都圏の拠点(新橋、新宿、神田、池袋、横浜)を
どのように再編するのか?
・前金型の商品体系に、どのタイミングで、どのようにメスを入れるのか?
・職業紹介部(キャリアアドバイザーの部隊)に本格的にメスを入れるにも、未だ、
若手キャリアアドバイザーの投入がこばまれている。
そこで結論としては、プロジェクトメンバーがそれぞれ適性ある部署に散らばって、お互いに
連携を取りながら改革提案を行っていこうという話になりました。
その結果、天才営業マネージャーNさん と、路代(みちよ)は営業企画として
全体を見渡しながら上層部を啓蒙する。
鬼マネージャー Sさんは、営業部隊全体を統括する部長として大鉈を振るう。
私は、新たに抜擢された若手キャリアアドバイザー4名と共に職業紹介部で暴れる。
こんな人事になりました。
新たに若手キャリアアドバイザーに投入されたのは、
営業マネージャーだったM君、元暴れん坊営業マンのNさん、入社3年目の女性トップセールスの
HさんとTさんです。
このメンバーに私を加えた5名が、新橋本社のキャリアアドバイザーとして配属される。
そのために、新橋にいた年輩キャリアアドバイザー5名が他の支社に人事異動となってしまう。
これには役員会でも相当な抵抗があったようです。
この人事が、年輩キャリアアドバイザーに説明された直後、私は新橋の年輩キャリアアドバイザーに
呼び出されました。
大変不愉快そうな表情の10名以上の年輩キャリアアドバイザーが会議室に揃っていました。
ただならぬ殺気です。
私が席につくなり、主任キャリアアドバイザーが、
「武谷(たけや)君、今回の人事は一体どういうつもりだ!!」
と口火を切りました。
その後は、
「だいたい君は何を目的にこんな無茶な事をするんだ!!」 とか、
「君は結局スパイだったのか!! いろいろ教えてやったのに裏切られた!!」 とか、
「いつも我々の話を聞いているふりをして、実は全く聞いてなかったな!!」 とか、
「急に池袋に異動と言われても遠くて通えないよ!!」 とか、
怒鳴りつけられて、もう手がつけられない状況になりました。
非難の嵐で、弁解や説明の暇すら与えられない状況でした。
そんな状況が約30分から40分続き、ずっと言われっ放しだった私もついに切れました。
私:「ちょっと黙ってもらえませんか!!
今回の意思決定に至るのに一体何年の月日がかかってるか!!
こっちとしては遅すぎた人事だと思ってますよ!!
だいたい今から皆さんは何年この会社にいるんですか?
我々は皆さんの何倍も長くこの会社で働くんです!!
稼がなければならんのです!!
皆さん、我々の人生に責任持てるんですか!!
我々の方が会社の事を真剣に考えているです!!」
しーんとした沈黙の後に、主任キャリアアドバイザーのYさんが、吐き捨てるように、あきらめたように
おっしゃいました。
Yさん:「皆さん、我々は要らないという事ですよ。」
再度、しーんとなった後、皆さん憮然として散会となりました。
大企業出身の人生の大先輩から、まさに袋叩きにされた時間でした。
「セトモノとセトモノと ぶつかりっこするとすぐこわれちゃう
どっちかやわらかければだいじょうぶ
やわらかいこころを持ちましょう」 みつを
合掌。