1988年4月、マネージャーになってすぐに期初の全社マネージャー会議がありました。
新任マネージャーの挨拶(決意表明)をさせられました。
特に何も考えていなかったのですが、
私:「とりあえずアメリカに出張してきます !!
また帰国したら、ご報告します!!」
と、誰の承認も得ていなかったのですが勝手に宣言しました。
どうも、この発言によって新しい仕事が回って来てしまいした。
天才営業マネージャーNさんが、ISP(インターナショナル・サーチ・プログラム?)と言う
新商品を勝手に作っており、そのフォローを私にやれと言うのです。
大恩あるNさん からの命令とあっては仕方ない。
やるしかないです。
この企画は、主としてアメリカに留学して、ちゃんと大学なりビジネススクールを卒業して
帰国される日本人や駐在員を、国際化を急ぐ日本企業や外資系企業に
ご紹介する目的で作られました。
Nさん :「お前、どうせアメリカに行くなら、海外から集まった登録者150人のフォローしてよ。
よろしくね。」
受注して後はヨロシク。新しい企画を作って後はヨロシク。
Nさんの常套手段です。
しかし、この企画はおもしろいし、アメリカ出張の言い訳にもなるのでフォローしようと思いました。
バブル期に突入し、日本企業は海外進出に大変意欲的な時代でした。
現在は発展途上国への生産設備移転が主流ですが、当時はまだ欧米諸国への進出が
ピークを迎えていました。
三菱地所がロックフェラーセンターを買収したような時期です。
日本が現在の中国のようにバブルだった時期です。
益々拍車がかかる国際化に対応するには、英語が話せる、外国の習慣や文化を理解している、
所謂、バイリンガル&バイカルチャーの人材が必要とされていました。
当時、ドメドメのリクルートでも外国人や帰国留学生を多数採用した時期でした。
そのような訳で、私の渡米目的は3つです。
1 登録されている留学生や駐在員、主にMBAのヘッドハンティング
2 自社の留学生(新卒)採用
3 アメリカの人材紹介業のリサーチ
勝手に日程も決めて、勝手にビジネスクラスのエアチケットを買って
ホテルはリクルートUSA のスタッフに予約してもらって、
サイナラー、行ってきます!!
という感じでした。
ロス1週間、ニューヨーク2日間と言うような、あわただしい日程でした。
しかし、この軽率な行動が次の人事異動につながっていくとは・・・・・。
明日、この続きを書きます。
合掌。