今日は、一昨日のブログにも登場した正直者E君のサクセスストリーを書かせていただきます。
E君は、三流大学中退、池袋西武の生鮮品売り場で1年間契約社員として働いた後、
営業のアルバイトとして転職してきました。
当時は、まだ21歳か22歳ぐらいだったと思います。
彼の通称は、 「ゴキブリ営業マン」!!
ゴソゴソ動き回り、どこにでも出て来る、なかなか死なないタフな奴、
そんな意味から「ゴキブリ」と呼ばれていました。
初めは、初体験の法人営業に戸惑っていましたが、持ち前のガッツですぐに仕事にも馴染み、
細かい受注を積み重ねるようになって来ました。
E君と私は同じ4~5人のチームでした。
朝は自主的に8:15までに会社に来て、その日新規で訪問する会社の取り合いです。
各種求人媒体に掲載されている新規企業はもちろん、日経新聞や日経産業、日刊工業などの
求人ニーズがありそうな会社の記事を切り抜いて、住所を調べて朝一で飛び込むのです。
私:「おはよう!!」
E君:「武谷(たけや)さん、今日は僕がこの会社に飛び込みます!! いいですね?」
私:「もちろん、早い者勝ちだから。それにしても毎日早いね?」
E君:「7:30には来て全ての新聞に目を通しています。」
私:「みんな、負けられないね。通勤遠いのに7:30に来ているのは偉いね。
E君みたいに頑張ろうぜ!!」
こんな感じで、E君は切り込み隊長と言うか、良いムードメーカーになってくれていました。
真剣に一番になりたくて、負けたくなくて、努力していました。
E君は、こんな事を1年も続けている内に、毎日読んでいる日経産業新聞、日刊工業新聞の
ハイテク業界に関心を持つようになり、その業界を中心に営業活動をするようになってきました。
また、E君の興味が深まると共にハイテク業界への転職も考えるようになりました。
そんな折、私が懇意にしていただいていたお客様で、ある外資系ハイテク企業A社の社長で
Sさんと言う方がいらっしゃいました。
防衛大学卒業後、アメリカで合気道の師範をされていた方で、帰国後は日本のハイテク商社でご活躍。
そこをスピンアウトして、37歳にしてA社日本法人の社長になったのです。
S社長:「武谷(たけや)君、どこかに良い営業マンはいない?
別にハイテク知識は必要ないんだ。
若くてやる気があれば、知識と英語は入社後、身につければいいから。
リクルートで営業やっているような人でもいいんだ。」
私:「社長、それなら一緒に働いている営業マンで、すごくバイタリティーがあって
お奨めの人材がいます。
この件はビジネス抜きの話で結構です。
是非一度会っていただけませんか?」
こんな会話があり、帰社してから、E君にこの話をしました。
私:「E君、本気で転職を考えているなら、A社と言う成長企業があって、
S社長の人柄も素晴らしいので一度会ってみないか?」
E君:「事業内容は何ですか?」
私:「通信プロトコルのシュミレーターの会社だよ。」
E君:「それって何ですか?」
私:「そんなに突っ込まれても、俺にもよくわからんよ。
とにかく、S社長に会って自分で聞いてみたら?」
と、半ば強引にS社長とE君をお引き合わせしたところ、とんとん拍子で話が進み、
E君はA社に転職する事になりました。
入社後、初めの1年間は苦労していました。
通信の技術的な知識も無く、英語もできないのだから当り前です。
更には、新製品の日本での営業担当をE君一人が任されたのです!!
分厚い英語の技術マニュアル、わからない単語だらけ、社内に同じ製品を売った人は誰も居ないので
誰も教えてくれない。
質問はアメリカ本社に直接するしかない。でも英語はできない。
結局、この新製品は世界でも1台も売れず事業部は解散。
アメリカの責任者もクビになったのです。
しかし、このとんでもなく苦労した1年間がE君のバネになって恐ろしい成長を遂げました。
2年目から主力製品の営業担当になるや否や、NTT、NECをはじめ、あらゆる通信系企業に
食い込み、何と日本法人の売上の50%以上を一人で売るトップセールスになったのです!!
S社長:「武谷(たけや)君、本当に良い人を紹介してくれたね。
E君は放り出しものだったよ!!」
私:「社長、でもE君には既にいろいろとスカウト話も来ているらしいので、他社に抜かれない
ように気をつけてくださいよ。ちゃんと給料、たくさん払ってくださいよ。」
E君もノリノリで仕事をしており、年収も倍増、本当に良かったと思っていました。
これだけでも立派なサクセスストリーですが、これはもっと凄い話の序章に過ぎませんでした。
その後の話は、明日書かせていただきます。
合掌。