先日、クライアントの取締役が、 「将来は学校をつくりたいんです。」 と夢を語ってくれた。
人間性の基礎は、3歳ぐらいから小学校低学年ぐらいの間につくられるらしい。
幼少期のわずか4~5年の間に、その人のベースとなる性質がつくられるとすれば、
何と恐ろしいことか?
その年齢を過ぎると、もう取り返しはつかないのか?
どんなに歳を重ねても 「人生は逆転できる」 を信じたいものだ。
ところで自分は、3歳ぐらいから小学校低学年は何をやっていたか?
だいたい3歳の記憶など、ほとんど無い。
記憶があるのは4歳ぐらいからだ。
田舎の家が川べりにあったので、毎日、近くの友達と川で遊んでいた。
川に落ちたり、友達に靴や靴下を流されたり。
それからオヤジの転勤のため更にド田舎に引越し。
周囲は田んぼだらけ。
田んぼに蓮華の花がたくさん咲いて、ゴロゴロ転げまわって遊んだ。
それから、川という川、池という池、溝という溝に、ザリガニだらけ。
残酷な友達は、ザリガニの尻尾の肉をえさにして、またザリガニを釣っていた。
ド田舎だったから、一番近い友達の家も、歩いて10分かかる。
それも飛び飛びにしかない。
ある友達の家は、わらぶき屋根で雨漏りがひどく、あっちこっちに洗面器やバケツを置いていた。
近くに野犬が出る山があって、よく探検に行った。
友達に、「きさん(=貴様)、帰ったらくらすぞ!!(=殴るぞ)」 と言って、
夜の8時ぐらいまで基地にこもっていたら、友達の一家全員で懐中電灯を持って山に探しに来た。
家に帰ったら、オフクロに頭から水をかけられボコボコにされた。
近くの公民館の息子が少し年上で、よく一緒に自転車に乗って遊んだ。
その兄ちゃんの自転車がパンクしたので、修理代を工面するために近所の神社に行き賽銭箱を
ひっくり返して賽銭泥棒をした。
オヤジの会社の営業所は街中にあり、子供の自分には相当遠かったが、2時間ぐらい自転車を
こいで、突然オヤジを訪ねて行ったり、その前にあった幼稚園にも遊びに行った。
一軒家で周囲に友達が居なかったので、自転車で動いて遊び友達を探す毎日だった。
夕方、パン工場に行ったら、工場で働くおばちゃんが、できたてのパンをくれた。うまかった。
ブルドーザー を動かしているおじさんを見つけて、じっと見ていたら、 「おい、横に乗るか?」 と
言われて乗ったけど、凄い急勾配を上がったり下がったりスリル満点だった。
その地に昔から住んでいる友達から仲間はずれにされることも頻繁だったが、そのような場合は
暴力で解決した。一番強い奴をやっつければよかった。
小学校に入学したら、知能テストがあった。
どうも、知能指数が60程度しかなかったらしく、先生が、 「残念ながら勉強では見込みがないですね。」
と話したようで、親もすっかりあきらめていた。
ひらがなで自分の名前を書くのがやっとだった。
小学1年生で授業をボイコットした。
友達3人を、「きさん(=貴様)、教室に帰ったらくらすぞ!!(=殴るぞ)」 と脅して、
ずっと鉄棒で遊んでいたら、先生が怒って呼びに来てボコボコにされた。
またしても、オヤジの転勤で2年生になる時に引越し。
今度は前よりは街中と言うか、人口密度が高い場所。
転校して初登校日の前日に、オヤジが風呂で言った。
「広人(ひろと)、最初になめられたら、いじめられるぞ。
最初が肝心やから、まずは自分のクラスの一番強い奴をやっつけろ。
その次は、他のクラスの一番強い奴を全員やっつけろ。」
こんなバカな事を子供に実行させる親が、今時いるだろうか?
4クラスあったが、バカだからその通りにした。
街中の子供は野性味が無いと言うか、やさしいのだ。
その点、ド田舎の子供は根性が違う。ド田舎では、どうしても勝てない奴が一人いた。
オヤジのアドバイスのおかげで、いじめられる事も無く、喧嘩した奴らとは一生付き合えるような
親友になった。仲良くなるには喧嘩するのが一番だ。
オヤジもなかなかいい事を言う、と今では思っている。
そいつらと毎日のように一緒に遊んだ。
こんな感じで小学校低学年が終わった。
「自然」、「喧嘩」、「友情」、「親と先生は絶対」 この辺が自分の幼少期のキーワードのような気がする。
「ALWAYS 三丁目の夕日」 みたいだな。
実は先週、突然旧友からメールが飛んで来た。
30年会ってないが、栢野先生つながりで私の現況を知ったらしい。
その旧友も今は福岡で独立して頑張っているらしい。
そんな事もあり、ちょっと懐古趣味なブログになり、申し訳ございませんでした。
合掌。
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