当時のリクルート人材センター(現リクルートエージェント)の1993年から1995年ぐらいの大改革、
大リストラを経て、組織は市場動向に対応できるカタチに変貌し、料金体系も前金制から成功報酬制と
なり、若手キャリアアドバイザーも大量導入され、創業以来、最も危ない時期を乗り切りました。
その改革の旗振り役だった人たちは、一体どうなったのか?
本来、そのような大仕事を成し遂げたわけですから、取締役ぐらいになって当然です。
しかし、鬼マネージャーのSさんは、大変ドラスティックな改革を推し進めたため
『やりすぎ』と思われたか?
しばらくほとぼりが冷めるまで休めという事なのか?
営業部長をはずされ、新設のエグゼクティブ・サーチ事業部の部長になりました。
鬼マネージャーのSさんは、最後まで、改革を自分の手で完遂したかったと思います。
サラリーマン人生を賭けた大勝負だったと思いますので、営業部長をはずされ閑職に甘んじるのは
悔しかったでしょうし、客観的にも「魂の抜け殻」になったように見えました。
間もなく、鬼マネージャーのSさんは、転職を決意されました。
社長の岡x拍C気鷦img alt=”あっぱれくん・・・?” src=”http://emoji.ameba.jp/img/user/no/notch1226/347732.gif” width=”16″ height=”16″ />には、
「役員にするから残れ!!」
と言われたそうですが、Sさんにとっては、「今更言われても・・・。」という感じだったのでしょう。
退職される前に、鬼マネージャーのSさん、営業マネージャーのRちゃんという
旧新宿支社立ち上げメンバーで飲みに行きました。
鬼マネージャーのSさん:「俺もいろいろ自分探ししたよ。本当はどんな仕事やりたいのか?
いろいろオファーもあったけど、やっと腹が決まったよ。」
何とも言えないムードでしたね。
寂しさと懐かしさ、新たな決意と門出、ごちゃまぜでした。
現在は、転職先の国際企業の日本代表として、もう10年以上ご活躍されていらっしゃるので、
それはそれで良かったと思いますが、リクルート人材センターにとっては、非常に大きな損失でした。
それから、天才営業マネージャー(営業企画部長)のNさんは、どうなったか?
これもまた人事異動です。
新たに再就職支援事業(現在のリクルートキャリアコンサルティング)を立ち上げる事になり、
そこの事業部長として赴任されました。
Nさんは、その後、紆余曲折あってリクルートを退職後、現在は独立して、サーチファームの代表に
なり、大活躍されています。
それから、もう一人の先輩(上司)、人事部長のTさんはどうなったか?
私と同郷の九州出身ということもあり、リクルートエイブリックの九州支社長として人事異動され、
その数年後に退職し、九州で人材ビジネスの会社を設立され、現在は東京に本拠地を移し、
人材紹介、エグゼクティブ・サーチ、人事コンサルティング、採用アウトソーシングなど
総合的なサービスを提供する会社の代表をされています。
更に、改革の獅子として、ITグループの立ち上げばかりか、インターネット利用による対登録者サービスの
推進、企業の採用セミナー企画・実施など、新サービスの開発を次々に手がけて、現在の人材紹介の
スタンダードを作った、私と同年代のK君は、何と私と同じマネージャーの吹き溜まりの
エグゼクティブ・サーチ事業部に飛ばされてきて、二人で机を並べ
て仕事をすることになりました。
これも、「ほとぼりが冷めるまで、しばらくおとなしくしていろ。」という意味なのでしょうか?
このような状況で、改革の中心となった上司や同僚の多くが、戦乱の後に会社の中心から姿を消してしまい、
いよいよ、徳川家康(岡x拍C気鵝房img alt=”あっぱれくん・・・?” src=”http://emoji.ameba.jp/img/user/no/notch1226/347732.gif” />の時代が到来したといった様相でした。
戦乱の後、暴れん坊の戦国武将を外様に飛ばして、世間に落ち着きを取り戻し、新たなリーダーと
新たな秩序を作り直し、徳川300年の歴史の礎を築こうとされている感じでした。
乱世と平世の主役は違うでしょうしね。
本当に人事というのは、おもしろくもあり、恐ろしいものです。
人事という権力を正しく行使できれば、会社は上昇するし、使い方を間違えば、とんでもない方向に
ころんでしまう。
戦国武将が倒れたこの時期は、
「夏草や つわものどもが ゆめのあと」
という感じでした。
合掌。
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