1992年頃、
我々が、キャリアアドバイザー(CA)部門で、前進できず、ゴソゴソしている内に、バブル崩壊で
前金受注が極めて厳しくなった営業(RA)部門は、壊滅状態になっていました。
前年売上に対して50%を前後するような惨状です。
バブル期に70億円以上あった売上が、30億円程度に落ちたと思います。
営業企画部長のNさんや、営業部長の鬼マネージャーSさんをもってしても、短期的な打開は難しく、
これこそ抜本的な改革が迫られました。
このようなカタストロフィーに直面して初めて本格的な改革が動くというのは、多くの企業で
ありがちですが、自分の会社がこのような事態になった事は残念ですし、マネージャーの
はしくれとしても、反省すべき点が多いです。
ここまで来たら、開き直って、ゼロベースで会社の新たなあるべき姿を考えるしかない。
少なくとも営業部門のマネージャーは、そのように腹をくくったと思います。
NさんやSさんを中心に、新たな会社のあるべき姿、新組織体制、役割分担などの議論が、
実務と並行して走りました。
そこで、一旦は、このような組織体制・方針になったと思います。
1 新宿支社を技術系拠点(IT 及び 電気・電子・機械・化学・建築・土木など)とする。
ここに首都圏全ての技術系クライアントと登録者対応窓口を集約する。
2 RA・CAの分業体制を排除し、一気通貫システムを導入する。
自動的に若手社員にCA業務を全面開放する。
3 新橋本社は、技術系以外の業界(消費財・流通、サービス、金融、メディカルその他ベンチャーなど)
を担当し、開拓を行いながら、マーケットのセグメントカットを行う。
4 新宿支社に、とにかく新規求人を開拓する大部隊を設置する。
5 トライアル的に成功報酬制を導入し、いずれは、前金制を撤廃、完全移行する方向で動く。
このように書きますと簡単に決まったようですが、会社として大きなパラダイム転換が起こった
わけですから、途中のプロセスはぐちゃぐやで明確な記憶はありません。
ただ、はっきり言える事があります。
人間には三種類あるという事がわかりました。
1 このような火事場で陣頭指揮を執り、馬鹿力を発揮する勇敢な人。変化対応力ある人。
2 方針に従い黙々と働く人。
3 しばし茫然自失となり、何もできない人。
私は、明らかに上記3に分類される、火事場で役に立たない人間です。
上記1に分類されるのは、Nさん、Sさんをはじめ、同年代のマネージャーのK君、もう一人のK君、
後輩のA君などで、この人たちが居なければ、現在のリクルートエージェントは存在しません。
なぜか、この内の誰一人として現リクルートエージェントには居ないのですが・・・・・。
組織体制は一新されましたが、この後、3年間有史以来初の赤字経営が続き、
20億円貸していた親会社のリクルートから、逆に30億円の借金をするはめになりました。
親会社が無ければ倒産していたでしょう。
450名の従業員も150名まで減少し、あれほど和気あいあいとしていた社内の雰囲気も
大変すさんだ感じになりました。
私も自信喪失し、Uターン転職しようと思い、福岡Uターンセンターに登録しましたが、
送られてきた求人は、福岡市の不動産屋さんの営業求人で年収半減の1社だけでした。
栄枯盛衰。
諸行無常。
合掌。