7月2日のブログ の続きです。
1992年、新橋本社に投入された若手キャリアアドバイザー(CA)は、
営業マネージャーだったM君、元暴れん坊営業マンのNさん、入社3年目の女性トップセールス
の二人、HさんとTさんです。
このメンバーに私を加えた5名が、新橋本社の若手CAとして配属されました。
他は、年輩CAの方々5名ぐらいで、合計10名程度の部隊です。
私は、当初、
「自分だったら、年輩CAの2倍、少なくとも1.5倍は決められるだろう。」
と思ってました。
営業部隊から貴重な戦力を投入する以上は、それぐらいの成果を上げて、
これをテコに一気に若手CAを増やす突破口にしたかった。
しかし、結果は、そのようにならなかった!!
個人的には、新橋では第2Q(二番目の四半期)でトップになった。
確か17名程度の決定だったかな?
でも、年輩CAの平均が12名程度の決定だったので、1.4倍程度でしかない。
更には、新橋以外の新宿や池袋に、私より決定人数が多い年輩CAが二人居た。
「こんなんじゃ、全くダメだ~!!」
と思った。
また、他の若手CA(同僚たち)の数字が伸びない。
結果が出ないので言い訳を始める始末。
「たまたま、自分に回って来た登録者は年輩の人が多いので決まらないんです!!」
「若い女だから、バカにされるんです!!」
「課長というタイトルが無いから不利です!!」
「武谷(たけや)さんは、決まりやすい優秀な登録者が回ってきてますね。
私には、そんな人、回ってきません!!」
今思えば、ここで思いっきり怒れなかったのが、私の弱さ、マネージャー失格の部分です。
「お前らはバカか!! 味噌汁で顔を洗って出直して来い!!
俺は、マネージャーとして数多くの会議に週何時間も割かれている中で、お前らよりマシな
結果を出している。
それでも、俺は自分の結果に不満だ。
お前らは、この仕事しかやってないのに、このクソみたいな数字で一体何をやってるんだ!!
もう、任せられん。
お前ら全員がどんな面談をしてるのか、俺が同席するから見せてみろ!!」
と言って、早期に深く介入すべきだった。
そこで、若手CAの平均決定数を、せめて、四半期15名程度に引き上げる。
どうしても引き上げられないメンバーは、入れ替える。
更には、CA業務自身を標準化し、誰でも業績を上げられるようにする。
この肝心なマネジメントができず、結果として、若手CAを全員うもらせてしまった。
でも、私は大きな誤解をしていた。
年輩CAだからダメなのではない。
若手CAだから良いわけでもない。
結論は、年齢差ではなく個人差だ!!
新橋の大会議室で、全CAを集めたノウハウ共有会をやった。
その四半期、業績上位の3名のCAが、自分の成果・ノウハウを発表した。
私も、その3名の内の一人として、もう忘れたが、浅い内容の発表をした。
その時、業績No.1だった年輩CAのTさんの話が、