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社長ブログ 人材コンサルタント25年史

何が何でも新規開拓じゃ!!

1989年10月。

営業からはずれて1年半後、やっと営業に戻りました。

営業からはずれて1年後ぐらいには、おもしろくなくて腐ってました怒

もうそろそろ営業に戻るだろうと思った頃から、早朝ジョギング走るを始めました。

あとは、縄跳び、ダッシュ、腹筋、腕立とか汗

その後、6年間ぐらい続きました。

営業マネージャーとして、朝から夜までメンバーと付き合うには、まず体力チカラコブですからね。

体力年齢も20代前半に戻しました。

新橋本社の営業1課と言うグループを、次長に昇進されたNさんぬけさくから引き継ぎました。

ただ、メンバーは入れ替えられ、他のグループから問題児が二人シウバサラリーマン富樫やってきました。

一人は、頭は良いけど働かない奴サラリーマン富樫

もう一人は、人間と言うよりゴリラに近い奴シウバ

しかし、この二人に一番多くの時間時計を費やしたかなー。

でも、久しぶりの営業は新鮮で楽しかったですおんぷ

まず、毎日外に出て、新規のお客様に訪問できることが、こんなに楽しいとは。

また、一人一人のメンバーと関わり、売れるようにする、仕事を楽しくやる、課のムードを盛り上げる、

全員で達成する喜びおんぷ

当時は、全員が早くマネージャーになれるようにしようと強く思っていましたかお

朝は他の課より早く来る。8:15からグループの課会。

アポイントのチェック、ヨミ状況ヒアリング、自分が関わるべき商談の見極め等々。

鬼マネージャーSさん節分が自分たちに教えてくれた事を、私は全て箇条書きにして手帳に

書き留めていたので、基本的にはそれに沿ってやり、あとは自分なりのとぼけたキャラぬけさく

生かしたスタイルです。

Sさん節分より厳しくしたのは、朝の遅刻。

8:15に会議室に1分でも遅れて来たら、1分1000円罰金壱万円 一万円 札 金。5分で5000円壱万円 一万円 札 金。その場で徴収。

今では上場企業の社長をやっている当時新人だったT君なども、朝には弱かったらしく、

よく罰金を払わせていました。

あと、意識したのは、自分からメンバーのデスクに行って話す事。

管理職になると、メンバーを自分のデスクに呼びつける方が多いと思いますが、

必ず自分から行き、横に座って、同じ目線でメンバーの話をよく聞くこと。

こんな不良社員の俺でも、関わっていただいた多くの上司のおかげでマネージャーになれたんだ。

真面目なこいつらが、マネージャーになれないわけがない、と本気で思っていました。

みんなに何とか成功体験をさせたい。

初めのQ(四半期)で、大幅に目標を上回って達成日本国旗し、課として新規開拓金額のギネス富士山(初夢)を作りました。

3億円弱の売上の内、1.5億円以上を新規開拓で売り上げ達成日本国旗しました。

グループとして、多くのリピート受注は期待できない状況でもありました。

また、人間は、どうしても自分の強みとか成功体験を他人に教えますね。

私も既存客はほとんど無く、新規ばかりで達成してきたので、まずはそれを教えたかった。

そんな調子でこのまま突っ走ろうと思っていた時、年初にH部長に呼ばれました。

H部長:「武谷(たけや)、今度、神田に新しい支社を作ることは知ってるな。

     お前に行ってほしい。」

私:「はー、10月に営業1課に来て、まだ3ヶ月ですけどはてな? また私ですか?」

私は、人事異動も給料お金の内だと考えているので、何も文句はありませんでした。

こういう人間はいつも異動させられるんですよね苦笑

*ただ、大手町・丸の内は新橋本社のテリトリーとされ、近いのに開拓できなかったのは

 頭にきましたが。要するに、東京の東側の渋い市場を開拓しろ!! という意味です。

 これには、私よりもメンバーが頭に来てましたね。

 新宿支社も渋谷区、新宿区がメインだったので、不動産、ソストウェア、その他成り上がり企業が

 多くて大変でした。

「新しい支社を新宿支社みたいに立ち上げられたらいいなー。

本社の目も届かないし、伸び伸び楽しい笑支社にしたいなー。」

と思いました。

だいたい本社という所は、偉い人波平がたくさん居て、ウ

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プロフィール


武谷 広人
人材ビジネス経験の蓄積と、自らのトップマネジメント経験を強みとする。経営幹部から専門職まで約500件の案件を成功に導く。

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