1989年10月。
営業からはずれて1年半後、やっと営業に戻りました。
営業からはずれて1年後ぐらいには、おもしろくなくて腐ってました。
もうそろそろ営業に戻るだろうと思った頃から、早朝ジョギングを始めました。
あとは、縄跳び、ダッシュ、腹筋、腕立とか。
その後、6年間ぐらい続きました。
営業マネージャーとして、朝から夜までメンバーと付き合うには、まず体力ですからね。
体力年齢も20代前半に戻しました。
新橋本社の営業1課と言うグループを、次長に昇進されたNさんから引き継ぎました。
ただ、メンバーは入れ替えられ、他のグループから問題児が二人やってきました。
一人は、頭は良いけど働かない奴。
もう一人は、人間と言うよりゴリラに近い奴。
しかし、この二人に一番多くの時間を費やしたかなー。
でも、久しぶりの営業は新鮮で楽しかったです。
まず、毎日外に出て、新規のお客様に訪問できることが、こんなに楽しいとは。
また、一人一人のメンバーと関わり、売れるようにする、仕事を楽しくやる、課のムードを盛り上げる、
全員で達成する喜び。
当時は、全員が早くマネージャーになれるようにしようと強く思っていました。
朝は他の課より早く来る。8:15からグループの課会。
アポイントのチェック、ヨミ状況ヒアリング、自分が関わるべき商談の見極め等々。
鬼マネージャーSさんが自分たちに教えてくれた事を、私は全て箇条書きにして手帳に
書き留めていたので、基本的にはそれに沿ってやり、あとは自分なりのとぼけたキャラを
生かしたスタイルです。
Sさんより厳しくしたのは、朝の遅刻。
8:15に会議室に1分でも遅れて来たら、1分1000円罰金。5分で5000円。その場で徴収。
今では上場企業の社長をやっている当時新人だったT君なども、朝には弱かったらしく、
よく罰金を払わせていました。
あと、意識したのは、自分からメンバーのデスクに行って話す事。
管理職になると、メンバーを自分のデスクに呼びつける方が多いと思いますが、
必ず自分から行き、横に座って、同じ目線でメンバーの話をよく聞くこと。
こんな不良社員の俺でも、関わっていただいた多くの上司のおかげでマネージャーになれたんだ。
真面目なこいつらが、マネージャーになれないわけがない、と本気で思っていました。
みんなに何とか成功体験をさせたい。
初めのQ(四半期)で、大幅に目標を上回って達成し、課として新規開拓金額のギネスを作りました。
3億円弱の売上の内、1.5億円以上を新規開拓で売り上げ達成しました。
グループとして、多くのリピート受注は期待できない状況でもありました。
また、人間は、どうしても自分の強みとか成功体験を他人に教えますね。
私も既存客はほとんど無く、新規ばかりで達成してきたので、まずはそれを教えたかった。
そんな調子でこのまま突っ走ろうと思っていた時、年初にH部長に呼ばれました。
H部長:「武谷(たけや)、今度、神田に新しい支社を作ることは知ってるな。
お前に行ってほしい。」
私:「はー、10月に営業1課に来て、まだ3ヶ月ですけど? また私ですか?」
私は、人事異動も給料の内だと考えているので、何も文句はありませんでした。
こういう人間はいつも異動させられるんですよね。
*ただ、大手町・丸の内は新橋本社のテリトリーとされ、近いのに開拓できなかったのは
頭にきましたが。要するに、東京の東側の渋い市場を開拓しろ!! という意味です。
これには、私よりもメンバーが頭に来てましたね。
新宿支社も渋谷区、新宿区がメインだったので、不動産、ソストウェア、その他成り上がり企業が
多くて大変でした。
「新しい支社を新宿支社みたいに立ち上げられたらいいなー。
本社の目も届かないし、伸び伸び楽しい支社にしたいなー。」
と思いました。
だいたい本社という所は、偉い人がたくさん居て、ウ