こんにちは。
先回のように、勝手にアメリカ出張したり、海外在住の日本人留学生の方々のフォローなど
していた関係で、困った人事異動が行われました。
郵送登録グループに配属されて、わずか6ヵ月後、突然、「海外業務課」と言う社長直轄の組織が
できてしまい、私はそこに異動させられるはめになりました。
常務:「武谷(たけや)、今度、海外業務課と言う新しいセクションができた。
そこに行ってもらう。
海外に興味あるんだろう?」
私:「えー!! 何ですかそれは? 何をやるんですか?」
常務:「わからない。決まってない。自分で考えろ。」
私:「ちょっと待ってくださいよ!! 勘弁してください。」
常務:「駄目。決定事項だ。」
英語もできないし、海外事業にもあまり関心が無いのですが、「勝手にアメリカ出張」の罰でしょうか?
自分としては、早く国内営業のラインマネージャーをやりたかったのですが、回り道になってしまいました。
当時のM社長(創業時から人材紹介事業を立ち上げてきた人)は、アメリカ好きでしたし、近い将来、
アメリカと日本を結ぶビジネスをやりたいとお考えでした。
M社長は、坂本竜馬の土佐出身。先見性ある人です。
現在のリクルートスタッフィング(派遣会社)を、リクルート人材センターの新規事業として立ち上げたり、
定年を前にした中高年対象の研修事業を立ち上げたり、後世に残る事業を手がけて来られました。
しかし、私のような先見性が無い人間を、海外業務課のような新規事業的なセクションに配属されたのは、
ミスジャッジでした。
自分の中には、いい思い出が無いですね。
この部署にいた1年の間で、自分ができた事はほとんど無い。
1 海外在住日本人留学生(主にMBA)のキャリアアドバイザー業務
2 留学生のための合同会社説明会の実施2回
夏休みや冬休みで帰国する留学生と、そういう方々を採用したい有名企業を集めて実施。
3 海外法人との業務提携の模索
*二度目のアメリカ出張を、常務、経営企画室長と3人で。 あー、息苦しかった。
4 駐在員のワーキングヴィザ申請・取得
こんなものです。
最終的に、このセクションは、リクルート人材センターのロス・オフィスを開設し、駐在員を一人、
日本から派遣すると同時に役割を終えてクローズしました。
誰に駐在してもらうかは、確か立候補制にしました。
4人ぐらい立候補したかな?
もちろん、英語が苦手な私は立候補せずでしたが、役員陣は、戦力としてはどうでもいい私を
行かせたかったのではないでしょうか?
立候補はしてもらったのですが、初代駐在員は、内々に決まっていました。
あの鬼マネージャーのSさんです。
理由は簡単で、一番仕事ができるし、M社長に対する説得力もあるからです。
私などが行ってレポートしたり、提案したりしても、
M社長:「武谷(たけや)、お前、その提案の根拠は何だ?
もう少し勝算がある意見を出せ!!」
などとなって、一向に話が進まない事がわかり切っていました。
だから、私は、強く鬼マネージャーのSさんを推したのです。
この件は、事前に人事部長や経営企画室長とも話し合い、根回し済みでした。
そこで、鬼マネージャーのSさんは、怒りました。
Sさん:「武谷(たけ
や)、なんで俺が行くんだよ!!」
私:「だって、Sさん以外の人が行っても意味ないと思うんですよ。
社長のMさんは、Sさんの言う事、Sさんの提案しか、信用しないと思いますよ。」
Sさん:「そうか、そういう意味ならわかるけど。
俺は、すっかりお前に島流しにされるかと思ったぜ。」
私:「なんで僕がSさんを島流しにする必要があるんですか?」
Sさん:「俺が居ない間に、天下統一して、営業部長にでもなる気かと思ったぜ。」
私:「何を言ってるんですか!! 勘弁してくださいよ!!
私には、そんな野心も力も無いです。
私は、Sさん、Nさん、Tさんを追い越して、部長になろうとか、役員になろうとか
そんな事、考えた事もないです。
大先輩に出世していただいて、僕は永久に子分で構いません。」
こんな感じで、最後は無事に、Sさんにロス駐在事務所長として赴任していただきました。
それから、2年後にSさんは帰国。
後任として、新宿支社でも一緒だったRちゃんが赴任しました。
ただ、バブル崩壊、業績悪化によって、ロス事務所を閉鎖するという悲しい結末になってしまいました。
合掌。
※弊社HP↓。