皆さん、はじめまして。
武谷 広人(たけや ひろと)と申します。
大学まで九州の田舎で暮らし、リクルートで働く為に東京に出て来て25年も経ってしまいました。
その25年間、ずっと「人材紹介コンサルタント」をやっています。転職は2回していますが、3社とも人材紹介事業です。
馬鹿ですね。よく続いているなーと思います。
人によってはつまらない仕事かもしれませんが、私にとっては、結構おもしろい仕事なんでしょうね。
何がおもしろくて、何がおもしろくないか? 何がストレスか? など、今後のブログでお伝えします。
今日は、私の駆け出し時代について。
リクルートに内定して入社前に九州支社の人事から電話があり、希望の配属先を聞かれたんです。
その時は、従業員数数十名でグループ内でもマイナーで、他の同期の新卒もほとんど知らなかった、
人材紹介業を営んでいるリクルート人材センター(現リクルートエージェント)への配属を希望したんです。
九州支社の人事は驚いて、
「お前、広告事業(現在のリクナビ、当時のリクルートブックの営業)志望じゃないの? 本気か?
本当にそうなるぞ!!」と言われ、その10分後に、東京本社の人事から、
「武谷、お前本気か? リクルート人材センターで地道に営業やるのか?」と聞かれたので、
「はい。それで構いません。」と答えました。
「あー、マイナーな会社だから、そんなに希望者が居ないのか?」と思い、若干不安になりましたが、
「花形事業部に自分は向かないし、高校時代から哲学とか心理学のような事に関心があったので、
いずれ他人様の転職をサポートできるコンサルタントになれたらいいなー。」と
甘い動機のまま念願叶って、当時のリクルート人材センターに配属されました。
大卒同期300人中、リクルート人材センターに配属されたのは5人。
その中で、一人だけ自分と同じような勘違いをして希望して配属された同期が居ました。
「同じような地味な奴がいるなー。」と思いほっとしました。
さあ、入社日翌日から1週間の座学研修の後、わけのわからんままに、
「お前らの今月の売り上げ目標は100万円だ。4月末までに必ず達成しろ!!」と言われ、
とにかく新規顧客開拓のアポ取りです。朝から晩まで電話。
「またリクルートか?いい加減にしろ!!」と撃破され、やっとアポが取れたら、
「お前の説明は何が言いたいかわからない。上司を連れて来い。」とこれまた撃破される。
「この野郎、折角俺がわざわざきてやったのに。話がわからんのは、お前が馬鹿だからじゃ。
誰が上司の助けなど借りるか!!俺一人で100万円売るんじゃ!!」と孤軍奮闘したものの、
結果は60万円しか売れなかった。
これが、1984年4月、私の人材紹介業人生の始まりです。
「他人様の転職サポート」=「他人様の転職の相談に乗る」は、遠い夢の夢。
「お前みたいな若造が大人の転職の相談に乗れるか馬鹿!!
お前が本当に他人様の役に立ちたいなら、転職先を探している人たちのために、
代わりに良い求人を開拓してくることじゃ!!」
悔しいけど、おっしゃる通り。
本当に「人材紹介コンサルタント」という言葉には遠い幕開けでした。
こんな私でも、人材紹介コンサルタントを25年も続けています。
貴方も「人材紹介コンサルタント」になってみませんか?